AI Navigate

スーパーシルク、奇跡の糸が織りなす夢の新素材

日経XTECH / 3/13/2026

📰 NewsIdeas & Deep AnalysisIndustry & Market MovesModels & Research

Key Points

  • 実用化には用途の具体化・コスト・大量生産の課題が残る一方、防弾衣・超軽量機器・薬物デリバリーなど幅広い応用が議論されている。

クモの糸は鋼鉄の5倍も強いという驚くべき有機素材。遺伝子工学の進歩で、限りなく近い素材が生まれている。その名も「スーパーシルク」。

 何千年も前に中国で初めて養蚕が始まって以来、蚕の糸は世界最高級の織物に用いられてきた。だが、ここにいる蚕はこれまでに生まれた数知れない仲間とは違う。その繭を織りなすのはクモの糸、いや、それに近い糸なのだ。

 クモ糸は、重量当たりでは天然・人工を問わずどんな素材も太刀打ちできない強度と伸縮性を備えている。クモ糸は同じ重さの鋼鉄の5 倍も強い上、100%オーガニックでもあり、「スーパーヒーローのような素材」だと、米国マサチューセッツ州にあるタフツ大学付属シルク研究所のフィオレンツォ・オメネット所長は話す。やはり並外れた物理特性をもつ人工素材のグラフェンやケブラーと同様、素材の王座に位置するが、違うのは合成化学物質を使わずに生産できること。クモ糸はグラフェンやケブラーと同レベル、もしくはそれ以上に優れた機能をもつオーガニック素材だ。

この遺伝子組み換え蚕は、クモの糸に非常に近い糸を作る。米クレイグ・バイオクラフト・ラボラトリーズが開発した。発光遺伝子が導入されているため、紫外線を当ててフィルター越しに見ると光を放つ。(写真:MARK THIESSEN, NGM STAFF)
この遺伝子組み換え蚕は、クモの糸に非常に近い糸を作る。米クレイグ・バイオクラフト・ラボラトリーズが開発した。発光遺伝子が導入されているため、紫外線を当ててフィルター越しに見ると光を放つ。(写真:MARK THIESSEN, NGM STAFF)
[画像のクリックで拡大表示]

 クモ糸を量産化できれば、より強度の高い防弾チョッキや超軽量のジェット機、ワクチンを体内の狙った場所に届ける次世代の技術など、さまざまな用途に活用できそうだ。ただし、クモは同じ場所に入れられると共食いする習性がある。養殖には向かず、大量飼育はまず不可能だ。

 それでも状況はここ数年で一変した。今のところはまだ、遺伝子組み換え蚕は、天然のクモ糸に匹敵する物理特性をもつ糸を生むには至っていないが、それでも特殊な機能を備えた糸を生み出せる程度にはクモの遺伝子を獲得している。一方で、別のアプローチ、つまり蚕にさほど依存しないやり方を試み始めた企業もあるが、どちらの企業も目指すゴールは同じだ。

 「スーパーシルク」として長年大きく期待されていた新素材を、人類は初めて手に入れようとしているようだ。だが、この素材をいち早く見つけ出そうと、長い年月(そして巨額の開発費)を費やしてきたスタートアップ企業や遺伝子工学の専門家たちは今、ある問いに直面している。この夢の新素材ができたら、いったい何に使うのか。用途はいくらでもありそうだが、話はそう簡単ではないことがわかってきた。

人工のクモ糸を開発する

 クモ糸は自然が生み出した最も奇跡的な構造と言っていい。大型のコガネグモ科のクモは鳥やコウモリを捕らえる巣を張ることが知られている。森の中に張られたクモの巣は、人間の手で簡単に払いのけられるかもしれないが、クモ糸をより合わせて鉛筆ほどの太さにし、巨大なクモの巣を空に張ったとしたら、理論上は飛行中のボーイング747さえも止めることができる。

 クモ糸の魔法のような機能を支えているのは、スピドロインと呼ばれる特殊なタンパク質と、このタンパク質が複雑な繊維を形成する仕組みだ。スピドロインは何千個ものアミノ酸が鎖状に長く連なったタンパク質で、正電荷を帯びた部分と負電荷を帯びた部分、水をはじく疎水性の部分と水になじむ親水性の部分が混在している。そのためアコーディオンのように伸び縮みする領域もあれば、互いに強く結合した領域もある。

 クモはこうしたタンパク質を編み込んだ丈夫な繊維を作る。この繊維が織りなす網にかかれば、ほぼどんな獲物も逃げられない。

 合成繊維は有毒な化合物が含まれている場合もあり、廃棄後にマイクロプラスチックになるなどして、自然界に、そして私たちの体にダメージを与えるおそれがある。そのため科学者たちは長年、生物由来の高機能素材を作れないかと考えてきた。クモ糸は自然界で見つかる最も優れたお手本だった。

 クモなしでスピドロインを作る研究が本格的に始まったのは1990年代だと、分子生物学者のランディ・ルイスは話す。当時ワイオミング大学にいた彼が率いる研究チームは当初、クモの代わりに使える有望な生物として大腸菌に着目したが、うまくいかなかった。

 次いでルイスはヤギにスピドロインを作らせ、乳から採取する方法を思いついた。さらにアルファルファと蚕も試したが、すべて失敗に終わった。

 そうこうするうち、技術の進歩で突破口が開かれた。2010年代前半にゲノム編集技術「クリスパー・キャス9」が登場したのだ。生物の遺伝子を狙い通り自在に書き換えられるようになり、スピドロインを作る生物探しは以前より容易になった。ゲノム編集技術によって「クモ糸タンパク質が発現する度合いが大幅に改善されました」と語るのは、中国の上海に近い蘇州大学で遺伝子組み換え蚕を研究する貢成良(ゴンチョンリアン)だ。中国の研究チームは2023年に世界で初めて遺伝子組み換え蚕を使って天然のクモ糸とほぼ同じ構造の糸を作ることに成功した。この糸はケブラーの6 倍も靱性(破断せずに変形し続けて耐えられる力の大きさ)が高かった。

 一方、米ミシガン州ランシングにあるバイオテック企業、クレイグ・バイオクラフト・ラボラトリーズ(以下、クレイグ社)は、ゲノム編集技術の進歩で、蚕の生産力を保ったまま、十分なスピドロインを産出させ、クモ糸に近い素材を作る技術を確立した。クレイグ社の創業者で最高経営責任者(CEO)であるキム・トンプソンは、自社の最新素材は大きな前進だと語る。「この素材ではボーイング747を止めることはできません。けれども、普通の絹より優れていますよ。強度と柔軟さで勝ります」。それはクモ糸で織った素材ではないが、スーパーシルクではある。そして何より重要なのは、量産化が可能なことだ。

 2026年には主要なアパレル大手に相当量の生地サンプルを発送できる見込みで、トンプソンは「長年の苦労の末に、ようやく出荷のめどが立ちました」と感慨深げだ。