AIに疲れた
AIがものすごいスピードで生活に浸透してきている。仕事はもちろん、家事においてもメインのおかずに合う副菜を提案してもらったり、友人たちとの食事の際にそれぞれ微妙な位置に住む全員がアクセスの良い駅を教えてくれたり、なくてはならない存在になっている。
とても便利になったと同時に、私は疲れてしまった。
なぜAIは私を疲れさせるのか
まず、AIは「切れ目・節目」がない。何かを依頼したり相談したりすると、「次はこんなこともできますが、どうしますか?」と次の提案をしてくる。便利だけれど、節目がないのも判断を求められ続けるのも疲弊する。
なにかのラジオで研究者のかたが「人間にとって節目はとても大事。節目がないと疲労する。仕事が一区切りついたら打ち上げをするとか、【これで終わり】と認識できる機会が大切」とおっしゃっていた。AIとのやりとりでは、まさにその【ここで終わり】と認識できる瞬間がないと感じる。
仕事においては、ものすごいスピードで業務は終わるけれど、その分仕事の時間が減ったかというとそんなことはまったくない。むしろリサーチや資料作りのような、あまり脳みそを使わずにできる作業はAIに切り出して思考の時間が増えたから、まず負荷が増えている。手を動かすだけでよい業務が、いかに救いだったか。
さらにAIは非常に偏差値の高い若手のような性質なので、彼らに仕事を渡す→レビューするというタスクが発生する。これも常に頭が休まらない要因。
みんながアウトプットを出すスピードが早くなったので、レビューの量も自ずと増える。アウトプットのクオリティーはある程度担保されるようになったためアウトプットへのフィードバックは減ったが、結局レビューの量が増えたので費やす時間は変わらないどころか増えた気さえする。
ただでさえ資本主義でどんどん格差が開いているなか、AIの登場でAI長者も出てきており、こんな投稿も目にするようになった。
NVIDIAのCEOジェンスン・フアン氏が警告:2025–2030年は、普通の人々がAIで世代を超えた富を築く最後のチャンスになるかもしれない🚨
— Nカシ投資 (@nvidian_kashiwa) March 10, 2026
AIをうまく使うものが持てるものになることは自明で、ホワイトワーカーは仕事が奪われてゆくことも必至だ。幸い自分は企画と実行、営業が中心のポジションにおりAIにすぐに代替されるものではないが、この先生き残ってゆくためにもあのツールもこのツールも使ってみたいとは思うものの、疲れている自分もいる。
私はAIが嫌いなわけではない。新しいもの好きな性格も高じてワクワクする気持ちはあるけれど、それでも切れ目なく無尽蔵に働くAIを前に「付き合いかたを考えないと、自分が潰れる」と思うようになった。
AIとの付き合いかた
こうして書いていて、まずは使っているAIツールの棚卸しをしようと思う。何をAIに任せれば自分のやりたいことに時間を使えるのか。そのために適したAIツールは何かを整理して、不要なものは解約する。
そして、AIの設定で「私がお願いしない限り、ネクストアクションの提案は禁止」とする。こうすれば、切れ目なく会話が続くことはないはず。
AI時代に、持続的に働くために

こんなスピードと脳の負荷に対応しつづけられる人は少ないのではと思う。だからこそ、パンを焼いたり、散歩をして季節の花を楽しんだり、コーヒーを淹れたり、人とご飯を食べたり、日記を書いたり、実用性は特にないエッセイを読んだり、運動をしたり、知らない土地を旅する時間を確保する。
「確保したい」という淡い希望ではなく、これは強い意思であり、決意だ。そうしなければ、持続的に働くことは到底無理だと思っている。






