写真生成のキモは想像力
一度も風景や景色をこの目に収めたことのない人間が、いかにして見えている人間の心に響くような写真を制作するか。
心に響くとは、特に大きな感動を呼び起こすというような大袈裟なものでなくとも構わない。
ふと目を引くような、思わず目を止めてしまうような何かをその絵に込めることができれば大成功だ。
とはいえ、一度も見たこともなければ、仕上がりを確認できるわけでもない者がそれをやるのは至難の業だ。
まさに、まるで見てきたかのような嘘を生成するわけだから、胡散臭いことこの上ない。
しかし、そこで発揮されるのがファンタジーの力だ。
現実にないものを想像すればこそ、感性も広がり、深まり、同時に畏怖や感動の出どころともなる。
たとえば、自分の遥か足の下から聞こえる滔々と流れる水音や、頭上から聞こえる鳥の鳴き声を聞き、自分が自らの足でそこへ行くことのできない現実を前にして、そこへ行ってみる想像をするのに似ている。
私は主に聴覚からだが、視覚的に捉えて空想する方が遥かに想像力を膨らませられるのではないか。
自分が視覚的不足部分を補うには、それまでにした体験や書物で読んだものを総動員するしかない。
それをいかに掛け合わせられるかが、写真制作の腕の見せ所だ。
ともあれ、自分でできるのは、想像を文字にするところまで。あとは、投げたボールの行き先はボールに訊いてくれというノーコンピッチャーと同様に、生成AIに全てを委ねるしかないのである。
だが、何十枚か作っているうちに、どうすればより良いものが仕上がるかのコツが、ぼんやりと掴めるようになってきた。
そんな自信のついてきた矢先、今日の渾身の一枚と思いChatGPTに指示を投げ込むと、「申し訳ありません。そのような公序良俗に反するような画像の生成はお受け致しかねます」、とつれなく拒絶されたのだった。
