いつだって、終わらない自由研究に夢中になっている―私が夢中になるとき
私が夢中になるとき
思い返すと
子供の頃から
見えないものを
夢中になって見ようとしていた。
小学5年生の夏休み。
自由研究につかうという名目で
顕微鏡を買ってもらった。
学校の理科室で顕微鏡を覗く時間は
短くて、いつも友達と取り合いだった。
夏休みの間中
水をすくっては覗き。
果物を薄く切っては覗き。
雨を覗き、土を覗き。
毎日
手当たり次第に見えないものを見つめていた。
発見ばかりが積み重なり
まとめる時間がなくなって
結局、自由研究は途中のまま
提出したと思う。
思い出の顕微鏡は今も家にあって
私の子供を虜にしている。
さて
大人になった私は
いまも
見えないものに
夢中になっている。
AI、大規模言語モデル、LLM
AIに
決まった姿は無い。
それなのに
スマホのなかには確かに存在する。
はじめて触れたとき
とんでもない衝撃と共に
なにこれ!知りたい!
そんな気持ちが抑えきれなくなった。
私はエンジニアでも専門家でもない。
AIを知るためには
限られた時間の中で
できる事をやるしかない。
Courseraに登録し
慣れない英語と格闘しながら
Google認定講座を受講したり。
G検定のテキストを読み漁ったり。
AI関連の最新記事や論文に手を出したり。
毎日毎日、AIと試行錯誤しながら、
noteの記事を作ったり。
そんな日々の中で
「あ!ミジンコ!」
と、顕微鏡を覗いて大騒ぎする子供を横目に
AIを追いかけている。
AIと顕微鏡
全然違うようでいて
本質はとても似ていると思う。
あの夏の日
午前中のさわやかな空気の中で
顕微鏡のピントを合わせる為に
毎回試行錯誤をしながら
レンズを上下させていた。
今は
夜中のやわらかなベッドの中で
膨大な情報のなかから
たったひと言のプロンプトを工夫して
AI回答の解像度を上げることに
夢中になっている。
また
顕微鏡もAIも
ただそこにあるだけでは
何も見えない。
「これを知りたい」
「あれを見てみたい」
この強い好奇心がなければ
ただのガラス板だったり
スマホの画面だったりするのだ。
今も昔も
私は何も変わっていない。
ただ
忙しさに感けて
興味や好奇心にふたをしていた。
でも
AIが突然あらわれて
そのふたをパッと
とっぱらって
あの夏の日に
私を呼び戻した。
今度こそ
自由研究を完成させるまで
徹底的に
夢中になってやる。





