3カ月間の長期休暇を終えて、2026年3月から職場に復帰した。それに伴い、このコラム連載も再開することになった。今後もよろしくお願いしたい。
休暇前の最後のコラムで私は「まとまった時間ができたので、これまでなかなか手をつけられなかった『記事の作成プロセスをAI(人工知能)でいかに自動化できるか』などについてもいろいろ実験したいと考えている」と書いた。
では、そうした実験を実際にやったのか。結論から言うとほとんどしなかった。時間はあったので、できなかったのではない。する気になれなかったというほうが実態に近い。「AIの登場により、記者という仕事そのものが不要になるのではないか」という疑念を捨てきれなかったからだ。
対話型AIのChatGPTに、記者が不要になるかどうかを尋ねてみたところ、やはり多くの業務はAIに置き換えられるとの回答だった。その上で、これまで知られていなかった事実を取材で掘り起こす作業は、より重要になるという。「AIが強くなるほど、本来のジャーナリズムだけが残る」とのことだった。
優等生的な模範解答である。しかし、新事実を掘り起こした人間が常に報われるとは限らない。AIを抜きにしても、元々の事実を見つけた人よりもSNSなどで事実を広めた人のほうが評価されることは多い。また、事実がいったん文章になってしまえば、AIはその事実を学習して取り込んでしまう。言葉は悪いが「AIにエサを供給しているだけ」にも見える。
個人的には、AIが進化することでジャーナリズムまで担えるようになる可能性はあると思っている。記者という仕事が今すぐになくなるとは思わないが、数十年のスパンでは消え去っても不思議ではないだろう。
他の仕事も同じだ。最近のソフトウエア開発の現場では、人間がコードを書くことがめっきり減ったという話をよく聞く。プログラマーという仕事が消えつつあるのだ。これからプログラマーになろうとするのは、インターネットや交通網が整備された現代社会で飛脚を目指すようなものかもしれない。
法律や医療などの専門家も例外ではない。専門家に求められている役割は、高度な知識に基づいて正確な判断を下すことだ。それこそ機械、すなわちAIが得意なことである。
18世紀半ばから19世紀にかけての産業革命では、人は肉体労働を機械に任せられるようになった。AIの登場により、その対象が知的労働にまで広がった。現在起こっていることは、産業革命の最終段階なのかもしれない。
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