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突然の解散「ノイローゼになる」 ロータリー開発、レシプロに吸収

日経XTECH / 3/19/2026

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Key Points

  • 1961年から続くロータリー開発グループが突然解散となり、量産体制を前提にレシプロ開発部門へ統合して組織を一本化した。
  • EV化・自動運転の進展を背景に、ロータリーとレシプロの設計思想の差が開発の進捗に影響を与えたとの現場の声が描かれる。
  • ロータリーがマツダの象徴として長く担ってきた歴史と、それをめぐる社内の衝突・葛藤が転換点として示されている。
  • 技術者・横尾健志らの苦労と再編の背景、さらには関連書籍の紹介を通じて事例の全体像を伝える。

 ロータリーエンジン(RE)を用いた発電機の量産に向け、アクセルを踏みだした2017年秋、ロータリー開発グループは経営陣から突然解散を言い渡された。1961年から続く開発グループが幕を閉じることとなった。技術者たちは、レシプロエンジン「SKYACTIV(スカイアクティブ)」の開発グループに吸収された。ロータリーは社内でも異彩を放つ存在。開発者の横尾健志たちは新グループで苦労の連続だった。(本文は敬称略)

横尾健志。レシプロエンジン開発チームとの関係強化に奔走した(撮影:橋本正弘)
横尾健志。レシプロエンジン開発チームとの関係強化に奔走した(撮影:橋本正弘)
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 ロータリーを用いた発電機の量産に向け、開発が本格化していた2017年秋。ロータリー開発グループは経営陣から突然の通達を受ける。

 「来年4月、ロータリー開発グループは解散になるから」

 1961年から続いてきたマツダのロータリー開発グループ。その長い歴史に、幕が下ろされる瞬間だった。技術者たちは衝撃を受け、言葉を失った。

 「解散って……本気で言ってるのか?」

 横尾も信じられなかった。量産のめどが立ち、ようやく光が見え始めたばかりだったからだ。

 ロータリー開発の歴史は、1961年、東洋工業(現マツダ)が西ドイツNSU(当時)からロータリーエンジンのライセンスを取得したところまでさかのぼる。その時、結成されたのが、「ロータリーの父」と呼ばれる山本健一を中心とするロータリー開発グループである。6年後、世界初の実用化に成功し、他社が撤退する中でもマツダだけが開発を続けた。半世紀以上、13代にわたる設計責任者がバトンをつなぎ、ロータリーはマツダの象徴として輝き続けてきた。だからこそ、解散の知らせは社内を騒然とさせた。

 だが、経営陣は「前向きな再編」と位置づけていた。当時は電気自動車(EV)シフトや完全自動運転が叫ばれ出した頃。電動化や他のレシプロ開発の対応で工数が逼迫していた。一方、ロータリー開発グループは、試作機から本格的な量産へ、大幅な設計変更に踏み込んだところだった。ロータリープログラムに人員を割けない。ロータリー独特の考え方や価値観が、他のレシプロを含め、横並びで見た時に整合が取れない部分もあった。

 「レシプロと比べて、進捗が遅いよ」

 経営陣からの印象はよくなかった。

 「現場は決して手を抜いているつもりはないのですが……」

 横尾たちはこう答えるのがやっとだった。そこで経営陣はロータリー開発グループを解散し、レシプロ開発部門に統合したのだった。エンジンの開発組織を1つにまとめ、統一された考え方で開発を加速しようと判断した。ちょうどレシプロは、「スカイアクティブX」の開発終盤に差し掛かった頃だ。

 レシプロとロータリーでは構造も思想もまるで違う。横尾は、その違いに悩まされることになる。

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