ロータリーエンジン(RE)を用いた発電機の量産に向け、アクセルを踏みだした2017年秋、ロータリー開発グループは経営陣から突然解散を言い渡された。1961年から続く開発グループが幕を閉じることとなった。技術者たちは、レシプロエンジン「SKYACTIV(スカイアクティブ)」の開発グループに吸収された。ロータリーは社内でも異彩を放つ存在。開発者の横尾健志たちは新グループで苦労の連続だった。(本文は敬称略)
ロータリーを用いた発電機の量産に向け、開発が本格化していた2017年秋。ロータリー開発グループは経営陣から突然の通達を受ける。
「来年4月、ロータリー開発グループは解散になるから」
1961年から続いてきたマツダのロータリー開発グループ。その長い歴史に、幕が下ろされる瞬間だった。技術者たちは衝撃を受け、言葉を失った。
「解散って……本気で言ってるのか?」
横尾も信じられなかった。量産のめどが立ち、ようやく光が見え始めたばかりだったからだ。
ロータリー開発の歴史は、1961年、東洋工業(現マツダ)が西ドイツNSU(当時)からロータリーエンジンのライセンスを取得したところまでさかのぼる。その時、結成されたのが、「ロータリーの父」と呼ばれる山本健一を中心とするロータリー開発グループである。6年後、世界初の実用化に成功し、他社が撤退する中でもマツダだけが開発を続けた。半世紀以上、13代にわたる設計責任者がバトンをつなぎ、ロータリーはマツダの象徴として輝き続けてきた。だからこそ、解散の知らせは社内を騒然とさせた。
だが、経営陣は「前向きな再編」と位置づけていた。当時は電気自動車(EV)シフトや完全自動運転が叫ばれ出した頃。電動化や他のレシプロ開発の対応で工数が逼迫していた。一方、ロータリー開発グループは、試作機から本格的な量産へ、大幅な設計変更に踏み込んだところだった。ロータリープログラムに人員を割けない。ロータリー独特の考え方や価値観が、他のレシプロを含め、横並びで見た時に整合が取れない部分もあった。
「レシプロと比べて、進捗が遅いよ」
経営陣からの印象はよくなかった。
「現場は決して手を抜いているつもりはないのですが……」
横尾たちはこう答えるのがやっとだった。そこで経営陣はロータリー開発グループを解散し、レシプロ開発部門に統合したのだった。エンジンの開発組織を1つにまとめ、統一された考え方で開発を加速しようと判断した。ちょうどレシプロは、「スカイアクティブX」の開発終盤に差し掛かった頃だ。
レシプロとロータリーでは構造も思想もまるで違う。横尾は、その違いに悩まされることになる。
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