【未来小説】AIと使えない組織

池袋駅西口を出た瞬間、鼻に入ってきたのは焼き鳥でもラーメンでもなく、消毒済みドローンのオゾン臭だった。
二〇四六年の東京。
春なのに空気は乾いている。
頭上では広告飛行船が、ゆっくりと西武百貨店跡地の上を旋回していた。
「人間の判断を、もう一度。」
「あなたの感情、AI監査済み。」
巨大なホログラム広告が、夜の池袋に青白く浮かぶ。
二十年前、この街は外国人観光客とサブカルの街だった。
今は違う。
“低AI依存区域”と“完全自動化区域”が、駅を境に分断されている。
私は待ち合わせ場所のメトロポリタン口で立ち止まり、腕の端末を確認した。
相手の名前は伏せられていた。
指定されたのは「元暴力団関係者」。
今の時代、それだけで十分に危険な肩書きだった。
「香坂さん?」
後ろから声をかけられた。
振り向くと、黒いコート姿の男が立っていた。
五十代半ばくらいだろうか。
右耳の後ろに古い型の認証チップ痕が見える。
「笹原です。」
彼は名刺も出さない。
今どき紙の名刺を出す人間は、逆に信用されない。
「寒いですね。」
「気温は快適ですよ。感覚補正切ってるんですか?」
言われて気づく。
私はAR温度補正をオフにしていた。
最近の人間は、気温すらAI経由で感じる。
暑さも寒さも、脳内で丸められる。
「今日は、どんな話を?」
歩きながら聞くと、笹原は笑った。
「反社が、なぜ滅びたか。」
東武百貨店跡の地下。
かつて飲食街だった場所は、“非接続エリア”になっていた。
通信遮断。
外部AIアクセス禁止。
監視ドローンなし。
古い喫茶店だけが営業している。
「こういう店、まだあるんですね。」
「AIが入れない店は、高いんですよ。」
店内では老人たちが新聞を読んでいた。
紙の新聞だ。
しかも誰も端末を見ていない。
今では珍しい光景だった。
席に着くと、店員が無言でコーヒーを置いた。
注文すらしていない。
「顔認証ですか?」
「いや。」
笹原は苦笑した。
「常連ってやつですよ。」
その言葉に、一瞬だけ時代の古さを感じる。
「二〇三〇年代の半ばくらいですかね。反社組織が一気に崩れたのは。」
彼は窓の外を見ながら話し始めた。
「昔は人を脅せば金になった。情報を握れば優位だった。でもAIが全部変えた。」
「どういう意味です?」
「脅迫が成立しなくなった。」
コーヒーカップを指で回しながら続ける。
「たとえば昔は、“この情報をバラされたくなければ”が通用した。でも今は、全員が常時監査されてる。」
今の社会では、会話も契約も感情変化も、ほぼ全てAIログ化されている。
企業不正。
脱税。
暴力。
差別発言。
あらゆるものが、リアルタイムで解析される。
「脅しても、“ああ、監査AIに提出しますね”で終わり。」
「なるほど……。」
「しかも暴力がコスパ悪い。」
笹原は少し笑う。
「昔は人を殴れば言うこと聞いた。でも今は違う。暴力検知AIが一秒以内に警察呼ぶ。」
「そんなに早いんですか。」
「もっと早い時もある。」
彼は窓の外を指差した。
道路の向こうで、酔っ払い同士が口論していた。
すると上空から、小型ドローンが二機降りる。
『攻撃性上昇を検知しました。距離を確保してください。』
機械音声。
周囲の人間は誰も驚かない。
「あれが日常です。」
笹原は言った。
「だから反社は暴力を失った。」
池袋の街を歩く。
夜十時。
だが人通りは少ない。
大半の人間は自宅から出ない。
仕事も買い物も恋愛も、ほぼ仮想空間で完結するからだ。
大型ビジョンには、“AI恋人 同期率キャンペーン”の広告。
昔のマッチングアプリ会社は、ほぼ全て人格生成企業になった。
「でも、裏社会って消えないですよね。」
私がそう言うと、笹原は頷いた。
「消えない。ただ、“AIを使えない”んです。」
「使えない?」
「身元認証。」
今の高性能AIは、全て利用履歴が国家管理されている。
危険思想。
詐欺。
犯罪予測。
一定値を超えると、高度AIへのアクセス権が停止される。
「反社認定されると、高性能AIが使えない。」
「かなり厳しいですね。」
「致命的ですよ。」
笹原は即答した。
「今の社会、高性能AIを使えないって、重機なしで工事するようなもんです。」
例えば企業交渉。
昔は若手社員が徹夜で資料を作っていた。
今はAIエージェントが五秒で市場分析から契約リスクまで終わらせる。
医療。
物流。
金融。
裁判。
全部AI前提。
「でも反社は、それが使えない。」
「じゃあ、どうなるんです?」
「仕事にならない。」
彼は笑った。
「シノギが成立しないんです。」
二十年前の特殊詐欺。
闇金。
違法賭博。
どれも今では、AI検知に引っかかる。
声紋。
送金履歴。
視線変化。
ストレス反応。
人間よりAIの方が嘘を見抜く。
「昔、“闇バイト”って流行ったでしょ。」
「ああ、ありましたね。」
「今は募集した瞬間に捕まる。」
求人文面。
脳波誘導性。
金額設定。
全部AIが検知する。
「じゃあ犯罪そのものが減った?」
「いや。」
笹原はそこで少し黙った。
「人間の欲は消えない。」
店を出る。
地下通路には、ホームレスが数人座っていた。
ただ昔と違う。
全員、VRゴーグルを着けている。
「生活保護VRです。」
「え?」
「最低限の仮想空間アクセス権。現実が苦しくても、仮想空間では豪邸に住める。」
私は言葉を失った。
その横で、若いカップルが空中UIを操作しながら歩いている。
「最近は、“現実恋愛”が逆に高級品ですよ。」
笹原が言う。
「相手が実在人間ってだけで、月額課金。」
冗談みたいだが、彼は真顔だった。
「AI恋人の方が都合いい。喧嘩しない。老けない。裏切らない。」
「でも虚しくないですか。」
「それを虚しいと思う感覚が、もう贅沢なんですよ。」
池袋西口公園。
昔は若者が路上ライブをしていた場所。
今は巨大な配送ドローンポートになっていた。
無数の機体が離着陸している。
その光景を見ながら、笹原がぽつりと言った。
「結局ね。」
「はい。」
「反社がAIを使えない理由って、“信用”なんですよ。」
風が吹く。
ドローンの羽音が重なる。
「AIって、結局は信用インフラなんです。」
「信用?」
「こいつに使わせて大丈夫か、って話。」
昔は金があれば何でもできた。
だが今は違う。
信用スコア。
行動履歴。
社会適合率。
それが低い人間は、高度サービスにアクセスできない。
「だから反社は、どんどん“人力”に戻っていった。」
「皮肉ですね。」
「ええ。」
彼は笑う。
「最新社会なのに、一番遅れてるのが反社。」
その時だった。
上空の巨大広告が、一斉に切り替わる。
“重大AI犯罪発生”
“非認証生成モデルを使用した映像詐欺”
街がざわつく。
通行人たちの端末に通知が飛ぶ。
「またですか。」
笹原はため息をついた。
「中国旧式モデルかな。」
「旧式?」
「二〇四〇年前後の野良AI。今は禁止。」
昔のオープンソースAIは、一部が地下流通していた。
制御なし。
倫理制限なし。
身元確認なし。
だから反社は、今でも古いAIを使おうとする。
「でも性能差が大きすぎる。」
「どれくらい違うんです?」
「拳銃と水鉄砲くらい。」
彼は即答した。
「正規AIは国家級インフラに接続されてる。地下AIじゃ勝負にならない。」
空を見上げる。
広告飛行船の向こうに、巨大な軌道エレベーターの光が見えた。
二十年前ならSFだった。
でも人間は慣れる。
どんな未来にも。
「最後に一つだけ。」
私が聞いた。
「この世界、幸せですか?」
笹原は少し考えた。
長い沈黙。
遠くでドローンが飛ぶ。
誰かの笑い声。
電子音。
風。
池袋の夜。
「昔より安全です。」
彼は言った。
「でも、“人間くささ”は減った。」
「……。」
「効率化って、そういうことなんでしょうね。」
別れ際、彼は振り返った。
「でもね。」
「はい。」
「反社がAIを使えない社会って、結局、“信用できない人間が排除される社会”なんです。」
その言葉だけが、妙に耳に残った。
池袋駅へ向かう帰り道。
改札のない駅を、人々が無言で通り過ぎる。
決済すら意識されない。
巨大モニターには、
“あなたの感情は正常です”
という広告。
私は急に、昔の雑多な池袋を思い出した。
酔っ払い。
客引き。
怒鳴り声。
パチンコ屋の騒音。
深夜のラーメン屋。
非効率で。
汚くて。
面倒で。
でも、確かに人間の街だった。

