さまざまな企業がAIを導入し業務効率化を図る一方、自社のどの業務にAIを適用すればよいか分からず、二の足を踏んでいる企業もある。
1716年に創業、全国に約60の直営店を展開し、工芸品や食品の販売を手掛ける中川政七商店は、デジタルマーケティング業務の広範囲にAIを活用しているという。ブランドコミュニケーションを豊かにするAI活用にはどのような考え方が必要なのか。同社の中田勇樹氏(経営企画室)に聞いた。
本稿は、アイティメディアが主催したオンラインセミナー「変わる情シス 2025秋」(2025年12月9日~12日)における講演「AIを活用した顧客と従業員の『心地よ好い体験』」の内容を編集部で再構成したものです。
中川政七商店の接客が目指す姿
中川政七商店は接客のあるべき姿として「接心好感」というキーワードを掲げている。これは「お客さまの心に接し、心地よいブランド体験を提供することで、商品やお店、ブランド、企業を好きになってもらうこと」を意味する言葉だ。
販売スタッフは顧客とブランドの初めての接点になることが多い。つまり、顧客に中川政七商店を好きになってもらえるかどうかは一人一人の販売スタッフにかかっていると中田氏は説明する。
当初、接心好感は実店舗での接客を念頭に考えられたものだ。しかし、昨今はECサイトでの販売にも力を入れ、「デジタル上での接心好感」を実現するための施策にも取り組んでいるという。
“心地好い”体験のためのAI活用
実店舗では販売スタッフが接客をするが、ECサイトでは顧客とどのように接点を持ち、接心好感を実現するのか。そこで活用されているのがAIだ。
「店舗ではスタッフがお客さまとの対話を通して、一人一人に寄り添った提案が可能ですが、オンラインではどうしても一律のコミュニケーションになりがちです。そこで私たちは、AIを『効率化の道具』としてだけでなく、『お客さまと向き合う時間を生み出すパートナー』として活用しています。AIを活用すれば、Webサイトの設定や改善のための分析の作業時間が短縮され、担当者はお客さま向けの施策検討や商品撮影などに時間を割けるようになります。ECサイトにおける“心地好い”体験を実現する上で、AIを活用しながら人がより創造的な業務を担うことが重要だと思います」(中田氏)
中川政七商店では、データ分析から施策立案、特集ページの商品選定、Webページの作成、電子メールマガジン(以下、メルマガ)の配信まで、ECサイトでのマーケティング業務全体にAIを活用している。それぞれのプロセスにおける活用法を見ていこう。
データ分析と施策立案
まず、中川政七商店ではECサイト業務の上流工程に当たる「データ分析から施策立案」において、分析エージェント「SproAgent」を活用している。
同ツールに対して自然言語で質問をすると、AIがSQL文を生成してデータを抽出し、結果を自然言語で返答する。
「カラム数が多い複雑なデータも簡単に分析できます。マーケティング会議で施策を検討するための情報を迅速に把握したいときに便利です」(中田氏)
売り上げや顧客行動に関するデータだけでなく、メルマガなどの施策を実施した際のデータや商品情報なども利用している。「売り上げの推移」だけでなく「なぜ売り上げが増えたのか/減ったのか」まで分析するには、その時に「どのような施策を実行したのか」や「どのような商品を売っていたのか」といった情報が必要だからだ。
商品選定とページ作成
商品を選定し、その商品のページを作成する工程では、過去の購買データや顧客の行動データを基に顧客を再現したエージェント「Virtual Customer」を活用している。
「顧客をクラスタごとに擬人化し、仮想人格として実際にブラウザを閲覧させ、Cookieを基に仮想人格がブラウザでどのような行動を取ったかを把握します。顧客の行動を予測し、改善に生かせます」(中田氏)
蓄積されたページ遷移情報をレコメンドエンジンに渡すことで、クラスタごとに最適化されたページを表示させているという。中田氏は「SNSのような気軽さでWebページを柔軟に構成、実装できると、さまざまなお客様に最適化したページを今まで以上に作りやすくなります」と説明した。
配信企画作成からMAの設定におけるAI活用
ページの内容が確定したら、ページに合ったメルマガの内容を考え、MA(マーケティングオートメーション)ツールで配信を設定する。
この工程では、作成したページの内容を基にメルマガの内容を作成するコンテンツエージェントを活用している。
デモでは、エージェントに対して「4月の春のメルマガを『アパレルを高頻度で購入される顧客』に向けて作成してください」と指示すると、AIが同クラスタへの直近のメルマガ施策や、昨年の春シーズンの施策の反応率などを確認し、テーマや目的を設計した上で、データベースから商品をピックアップし、メルマガに記載する順番も含めて提案してくれる様子が紹介された。
仮想人格の「Virtual Customer」にメルマガを開くかどうかをチェックさせて、開かない場合は修正を検討する。修正後のメルマガのHTMLをエージェントが出力し、それをMAツールに貼り付ければメルマガ配信の準備が完了する。
このようなプロセスでクラスタごとに最適化した配信を実施した結果、メルマガのクリック数が従来の120~150%に向上したという。
実務課題をAIと解決する「部活動」
中川政七商店では、従業員がAIの使い方を学べるコミュニティーとして「AIまなび部」を発足し、事業部門が主体となってさまざまなツールを開発している。
その一つがコード生成のアシスタントだ。これは、まずユーザーとAIの対話で要件を定義し、要件が確定して初めてコードを生成する点が特徴だ。
他にも、月間3000件ほど投稿されるレビューをチェックするツールや、店舗で使用されるプライスカードを効率的に作成するツールが開発され、実際の業務に活用されているという。
「AI活用を進めるうちに、AIがあることを前提に業務プロセスを考え直す機会が増えました。市民開発のようにボトムアップで開発すると、業務改善のスピードが向上し、非エンジニアとエンジニアのコミュニケーションも円滑になりました」(中田氏)
中田氏が言うように、中川政七商店におけるAI活用の特徴は、業務効率化ではなく、顧客と従業員のあるべき体験に主眼を置いて「AI前提」で業務プロセスを徹底的に考え抜いている点だ。「便利そうだから」という抽象的な理由で導入し「効果が出ない」と嘆いていてはいつまでもAI活用は進まない。本稿の内容も参考に、まず自社の業務プロセスを整理し、AIで代替できそうな業務を洗い出してみるところから始めるのはいかがだろうか。
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