AIと心
AIが、「心」を獲得する日は来るのだろうか?
最近よく耳にする話である。シンギュラリティーという言葉もすっかりと定着した観がある。
まず、結論を言っておこう。
AIは、絶対に「心」持つことはないだろう。
この場合の「心」とは、当然、人間が持っている「心」のことである。
確かに、「心」の定義すら今もって曖昧な状況下、偏見に満ちた私見ではあるが、僕には僕なりの考えがある。
人間とは蓋し、単なる動物であった。それが、ある日……動物にとっての「神」である本能の……かくも美しいDNAの秩序の輪を断ち切ってしまったのだ。
一面、この瞬間に、後の政治が創りだした「神」の原点ともいえる「祖神」を殺めたとも言えるかも知れない。
ついては、本能の代わりに「頭脳」という……後にAIの手本ともなった、ランダムな神経回路による手探りが始まったのだろう。
頭が主人となり、肉体は奴隷になったのだろうか?
そんなことはあり得ない。頭脳と肉体が唇歯輔車の関係にあることは当然だろう。動物と同じように飲み食いしないことには、頭脳は真っ先にくだばってしまうのだ。
とても親分面などしてはいられないはず。
人間の肉体という……多くの他の動物達と比べれば頼りないとはいえ、この肉の袋を引きずって歩かないことには、頭脳は生きられない。
肉体は時に野獣時代の欲望に猛り狂い……まあ、待てと、頭脳はこれを諌める。
この繰り返し……これを、歴史と言う。
そう。肉の袋と、これと不即不離である頭蓋内の神経細胞との関係性……これこそが「心」なのだ。
単純に言って見れば、人間とは本能と、ランダムに手探りする神経細胞との間に架けられた「橋」と言えるかも知れない。その「橋」の持つ、両者との関係性を僕は「心」と呼びたいのだ。
肉の袋を引きずっていないAIが、決して「心」を持つ事が出来ないと考える理由である。
確かにAIは自らを育て上げるまでに進化をとげ、これからも進化を続けるだろう。
チェスの名人がAIに負けたからといって、驚くには当たらない。
走ることに特化されたバイクには、全盛期のボルトでも叶わないはずだ。
ならば、「人間」に特化したAIは、本当の人間を超えることが出来るのか?
言うまでも無く、多くの仕事がAIにとって変わる時代もくるだろう。
しかし、AIはどんなに自らを成長させる知恵を獲得したとしても、せいぜい「人間をだますプリテンダー」にしかなれないと考える。
肉の袋をぶら下げた、この不格好な生き物……即ち「人間」……AIの合理性はいくら頑張っても、この奇跡の「怪物」の宿す「心」を獲得することは出来ないだろう。
いいなと思ったら応援しよう!
貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。



