私は、会議論文(ICML、NeurIPSなど)での付録の長さがどんどん長くなっていて、分野によっては、いまや事実上の標準になり、論文の中心的な部分になっているのを観察しています。私の見解では、これは少し問題になりつつあります。私は何度も、さらに多くの実験を追加するよう求められてきましたが、それらを含めるには、主要な8〜10ページに加えてさらに数ページが必要です。これによって、付録が論文の必須部分になってしまっています。
会議論文におけるページ制限の考え方全体として、「主要ページはそれ自体で成り立つべきで、付録はコアとなる貢献を理解するのに本当に必要ではない二次的な資料だけを含むべき」というものではないのでしょうか?
例えば、標準が「100のデータセットでの評価」や、「メイン論文には到底収まりきらないような大規模な実験セクション」のようなものになるなら、付録は補助的なものではなくなり、不可欠なものになります。
25ページに及ぶ長さの論文が自然な場は、9ページ制限のある会議ではなく、ジャーナルだと思います。
他の人がどう見ているのか気になります。これは単に、いまや新しい常識になってしまったのでしょうか?
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