[D] 会議(カンファレンス)とページ制限について

Reddit r/MachineLearning / 2026/3/27

💬 オピニオンSignals & Early TrendsIdeas & Deep Analysis

要点

  • 著者は、ICMLやNeurIPSのような会場における会議論文の付録が、過度に長くなりつつあり、補足資料が論文の必須部分にまで転じていると主張する。
  • よくある査読/依頼の力学として、実験を追加するとメインのページ数制限を超える必要が生じ、その結果として付録が必要不可欠になり、肝心な結果を盛り込むことが事実上付録に依存するようになっている点を指摘する。
  • この投稿では、この傾向が厳格なページ制限の目的、すなわちメインの貢献が単独で成立することを担保するためのものを損なうのではないかと問いかけている。
  • 著者は、非常に長い実験や大規模な結果を扱う仕事は、ページ数の多いジャーナルのほうが適しており、ページ制限が厳しい会議よりもそちらが望ましい可能性があると提案する。
  • この投稿は、長い付録が「新たな常識(new normal)」になりつつあるのか、そして出版実務のこの変化をコミュニティの人々がどのように見ているのかについて、意見を募っている。

私は、会議論文(ICML、NeurIPSなど)での付録の長さがどんどん長くなっていて、分野によっては、いまや事実上の標準になり、論文の中心的な部分になっているのを観察しています。私の見解では、これは少し問題になりつつあります。私は何度も、さらに多くの実験を追加するよう求められてきましたが、それらを含めるには、主要な8〜10ページに加えてさらに数ページが必要です。これによって、付録が論文の必須部分になってしまっています。

会議論文におけるページ制限の考え方全体として、「主要ページはそれ自体で成り立つべきで、付録はコアとなる貢献を理解するのに本当に必要ではない二次的な資料だけを含むべき」というものではないのでしょうか?

例えば、標準が「100のデータセットでの評価」や、「メイン論文には到底収まりきらないような大規模な実験セクション」のようなものになるなら、付録は補助的なものではなくなり、不可欠なものになります。

25ページに及ぶ長さの論文が自然な場は、9ページ制限のある会議ではなく、ジャーナルだと思います。

他の人がどう見ているのか気になります。これは単に、いまや新しい常識になってしまったのでしょうか?

submitted by /u/kostaspap90
[link] [comments]
広告