荏原製作所と匠和会は2026年3月16日、東京都内で共同記者会見を開催した。荏原製作所は自律AI(人工知能)エージェント基盤の活用により、製造現場の属人的な技能や知見を組織に定着させる「知識駆動型DXプロジェクト」の本格始動を、匠和会は企業横断的な知識共有を目指す業界団体として正式設立を発表した。両者は別団体であるが、AIを通じて現場に眠る「暗黙知」を形式知化し、製造業全体の底上げを目指すという共通の目標を持つ。
知識駆動型DXプロジェクトの目的
荏原製作所が始動した「知識駆動型DXプロジェクト」は、製造業における労働力減少や熟練技術者の退職などの喫緊の課題に対し、DX(デジタルトランスフォーメーション)を単なる業務効率化ではなく、知識を「競争力の源泉」として活用を目指すものだ。
知識を組織の資産へと転換するための基盤となるのが、「デジタルトリプレット」の概念である。荏原製作所 プロジェクト統括責任者の王宇坤氏によれば、「従来のデジタルツインが物理空間とデジタル空間の二層構造で事実の記録のみを行うもの。そこに理由や根拠、制約などを格納する『知識空間』を加えた三層構造とすることで、人間中心のDXが実現できる」という。
設計プロセスのSoCで形式知化85%を達成
この概念を具現化し、知識の抽出から活用までを担うのが、荏原製作所が独自に開発した「EBARA 開発ナビ」「Ebara Brain」という2つのシステムだ。
EBARA 開発ナビは、現場知識のヒアリングや、知識の形式知化を担うシステムとして使うものだ。業務プロセスを大/中/小の各段階からタスクレベルを細分化し、入力情報から出力結果を導き出すための論理や根拠、イレギュラーな事象への対処法といった知識を体系的に蓄積する。
Ebara Brainは、知識空間のデータを活用するための自律分散型AIエージェント基盤である。この基盤上では、知識を抽出してデータベース化する形式知化エージェント、対話を通じて知識の精度を向上させるヒアリングエージェント、専門知識で業務を支援するエキスパートエージェントなど、役割の異なる複数のAIが連携する。専門的な判断が必要な場面では、AIが単なる答えではなく「なぜその設定にすべきか」という根拠を提示しながらユーザーを補助し、最終的には判断に使われた暗黙知の履歴を含むレポートを自動生成し、そのまま技術検討に利用できるという。なお、外部通信を必要としないオンプレミス型として設計されいる。
給水ユニットの設計プロセスを対象に、Ebara Brainを用いて概念実証(PoC)を実施した。その結果、人間が整理した設計プロセスの85%を形式知化エージェントにより生成。また、設計諸元間の関係性予測においては生成AIを活用することで83%の精度を達成した。これら2つのシステムが連動することで、AIは単なる検索ツールではなく、業務の文脈の中で人間と伴走し、継続的に知識を進化させる存在となる。
なぜ暗黙知は生まれるのか? 顕在意識と潜在意識との関係性
匠和会は、荏原製作所のように企業内で開発した高度な実践システムを、業界横断的に拡張することを目指す業界団体だ。匠和会の代表理事を務める、慶應義塾大学 教授の栗原聡氏は、暗黙知の正体について独自の視点から解説した。
「人間の脳内における顕在意識は、実は、潜在意識が決定した行動を外に向かって説明するための『報道官(スポークスマン)』の役割にすぎない。自転車の運転や熟練したモノづくりなど、経験を伴う作業の多くは潜在意識の領域で行われている。そのため、熟練者本人でさえ『なぜこの判断をしたのか』という直感の根拠を正確に言語化することは極めて難しい」(栗原氏)
しかし、現在のAI技術の進化によってこの状況は打破できると栗原氏は語る。「従来のAIは顕在意識レベルの処理にとどまっていたが、大規模に知識を蓄積したAIモデルを活用することで、事象の因果関係を推論し、潜在意識下にある行動の本質やルールの正体を解明する道が開かれつつある」(栗原氏)。
匠和会が目指すのは、現場固有の機密知識を情報漏えいリスクから守るために各企業にとどめながらも、企業間で必要なデータを統合し連携させる「分散型AI経済社会」の構築である。AIを単なる効率化の道具ではなく、イノベーションを生み出すパートナーとして社会に根付かせ、企業横断的な知識の底上げを図る。
「荏原製作所×匠和会」が生み出すシナジーと日本の生存戦略
荏原製作所は知識駆動型DXプロジェクトについて、4段階のロードマップを描いている。第1フェーズとして2022年にデジタルトリプレットの概念を立ち上げ、2025年10月にEBARA 開発ナビを正式にリリースした。今回、2026年3月に発足した知識駆動型DXプロジェクトは第2フェーズに位置付けられる。2027年以降の第3フェーズでは、他社など外部の知識基盤との連携を推進。最終的な第4フェーズとなる2028年以降は、AIエージェント同士が知識を交換する社会の実現や事業の収益化に加え、技術の国際標準化への挑戦を目指す方針である。
匠和会と荏原製作所は両者の連携により、最新のAIシステムを一部の大企業にとどめず、日本の中小製造業全体の底上げへと直結させる実践的な枠組み作りを目指す。また、開発したアーキテクチャやソリューションの一部を公開し、匠和会や地域のパートナーを通じて中小企業の現場でも利用可能なツールとして社会実装を加速させる方針だ。王氏は「将来的には部門や企業の壁を越えて、安全にデータを持ち寄るオープンイノベーションのエコシステム構築も見据えている。日本のモノづくり力の底上げを図り、グローバルの中での産業競争力を強化したい」と語った。
関連記事
日本は本当に遅れているのか? AI×現場力で始まる日本型モノづくりの逆襲
日本の製造業のDXにおける現在地は国際的に見てどういう状況なのだろうか。製造業のDXに幅広く携わり、2025年12月に著書「製造業DX Next Stage: 各国/地域の動向やAIエージェントがもたらす新たな変革」を出版したアルファコンパス 代表CEOの福本勲氏に話を聞いた。
半導体高集積化/微細化で拡大するCMP装置、荏原製作所は先行投資で開発強化
荏原製作所は、CMP装置など半導体製造装置を開発する精密・電子カンパニーの新開発棟(V8棟)を報道陣に公開した。
「蛇口をひねれば思考が出てくる時代」へ マクニカが示すAI革命の最前線
マクニカはメディア向け勉強会を開催し、「思考のコスト」を下げるAI革命の背景と進化を説明した。自律型AIの台頭、エッジAIへの移行、現実空間で稼働するフィジカルAIへの拡張という、3つのパラダイムシフトを示す。
ヒューマノイド50台を徹底特訓! 「フィジカルデータ収集センター」が誕生
山善やINSOL-HIGHら4社はヒューマノイドロボットの実用化を目指す新団体を設立。千葉に50台規模のデータ工場を新設し、現場稼働に必要な動作データを収集する。2026年の稼働を予定している。
日立のフィジカルAI統合モデル「IWIM」の実力は? 試作ロボット2種を公開
日立製作所は「フィジカルAI体験スタジオ」の先行公開に併せて、現場で自ら学びながら動作を最適化し複雑作業を自動化するフィジカルAI技術を発表するとともに、同技術を実装した試作ロボット2種を公開した。
いまさら聞けないエッジAIとクラウドAIの違い “現場処理回帰”の必然性とは
i-PROはメディア向けにエッジAI勉強会を開催し、クラウド処理との違いや優位性を解説した。現場での推論とクラウド学習を組み合わせた戦略や、生成AI活用など将来展望を紹介した。
関連リンク
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
(左から)匠和会 代表理事で慶應義塾大学 教授の栗原聡氏、荏原製作所 プロジェクト統括責任者の王宇坤氏、荏原製作所 技監の後藤彰氏
荏原製作所の王宇坤氏

匠和会の栗原聡氏



