自由な創造世界 | エッセイ
(約900字)
Instagramのリール動画でAIクリエイターの制作した外国の俳優さん達の若かりし頃、全盛期の頃、今現在の年齢へと変化する動画が映し出される。
若かりし頃と今現在の姿で寄り添って和やかな雰囲気。
亡くなられた方も生きてるかのように魅力的でAIの進化には驚く。
わたしは法的なことはわからないが、あまり考えずファンだった俳優さんが出てくるとうれしくなってしばらく見入っていた。
ふと、ひとりの俳優さんが映し出された。
ファンだった故三浦春馬さん。
愕然とした。
外国風の墓石のデザインの前でいつもと変わらない端正な顔立ち、少し切な気な表情でこちらを見つめている。目が合った。
目が合って見れなくなった。
三浦春馬さんまで普通に見ていたのに…
突然、墓石の前での姿だったから?
かといって生前の映画やドラマは見れる。
途中で何を見ているのかわからなくなってきた。
これからの未来何を見ていくのだろう。
すでに何か一線を超えて秘薬なのか?甘美でなにかが麻痺した感覚。
ただ家族の姿だったら見れない。
わたしの姿だったら家族はどう受け止めるのか。
それも家族の選択。
自由な世界が訪れ、究極の創造という自由な世界の扉はすでに開かれていて、選択も究極自由な世界。
死という概念はどうなるのだろう。
想像の中で生き続けていたものが映像の中で遺作ではなく、新たな創造で生き返る。
続いている「その人」なのか
新たに生まれ変わった「その人」なのか
三浦春馬さん以外の動画を楽しく見ていた自分も正直答えはでない。
見ていたい…
でも…
本人の映像じゃない。
わたしは誰を見ているのだろう。
何を見ようとしてるのだろう。
まだ音声つきの俳優さん動画には出会っていない。声は作り上げることはできても言葉は創作できるのだろうか。
皆に語りかける言葉は(特にお亡くなりになられた方)
本人の全てを知りつくした人しかわからない。
セリフじゃない。
それもいつの日か膨大なデーターから作り上げるのだろうか。
もう出来上がっているのかも知れないね。
皆に語りかける言葉は本人だけのもののような気がするが、そうあってほしい。
ただ親しい間柄の人で「あの人なら必ずこう言ってくれる」的な強い思いはあったりもする。
ファンにとってはうれしくもありまがいもののようでもあり、わたしもまだどちらかわからない。
正直、三浦春馬さん以外の俳優さんを見入っていた自分がいた。
ほんとうに自分自身がわからないことが一番衝撃だった。
( 了 )
※トップ画
旅行先での加工なしの写真です。😊
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