入り口は「努力」、出口は「無為」 ─ AI時代に60代が波に乗る極意
AIが「私」を自動運転する時代へ
今、アメリカを起点に、AIが私たちの「完全な代わり」を務める時代が幕を開けようとしています。
今年中には日本でもその波が本格化するでしょう。
例えば、私の思考プロセスや文章のクセをAIが学習し、
noteの記事執筆(有料記事含む)
→発信・拡散
→売上や顧客の管理
これらすべてを AIが自動で 行う。
「自分が寝ている間にAIが働いてくれる」という状態が、夢物語ではなくなっています。
「人間」は何をするのか?
「AIにお任せ」でいいなら、人間は何をすればいいのでしょうか?
ここで重要な落とし穴があります。
私の身代わりとなるAIは、あくまで「私のコピー」です。
私自身の解釈や、私だけの視点が磨かれていなければ、AIが生成するアウトプットも価値のないものになってしまいます。
荘子に登場する「肉切りの達人」や「蝉取りの名人」を思い出してください。
彼らの域に達した振る舞いだからこそ、それを模倣するAIにも価値が宿るのです。
結局のところ、私たちは
「自分を磨くこと」から逃げることはできません。
「老子」と「荘子」の決定的な違い
よく混同されますが、老子と荘子の「無為自然」には大きな違いがあります。
老子:「作為(努力)」そのものを否定し、流れに身を任せよと説く。
荘子:「圧倒的な練習」を肯定する。
荘子の描く達人たちは、最初から名人だったわけではありません。
何度も泥の玉を積み上げて蝉を取り、何度も牛を解体する。
その凄まじい反復(有為)の果てに、意識せずとも体が動く「無為自然」の境地に辿り着いたのです。
出口は「無為」ですが、入り口は「努力」だった
のです。
60代こそ「やってみなはれ」
「自分にはそんな才能はない。見つけなきゃ」と、自分探しを続けてしまう現代人は多いものです。
しかし、自分の「得手」は、頭で考えても見つかりません。
サントリー創業者・鳥井信治郎氏の言葉、
「やってみなはれ」
この精神は、60代の私たちにこそ必要です。
環境が激変するAI時代。
どの能力が今の時代にマッチするかは、「とりあえずやってみる(努力)」という試行錯誤の中でしか見えてきません。
あなたの「当たり前」は、誰かの「宝物」
60代の私たちは、すでに長い人生の中で膨大な「蓄積」を持っています。
ところが多くの人は、
「私なんて、たいしたことないですよ」
と、自分の価値を否定してしまいがちです。
なんともったいない!
あなたが当たり前にやってきたことの中に、AI時代に輝く「種」が眠っています。
そこを少しだけ今の形に磨き上げ、AIなどの新潮流に乗せましょう!
ただし……
一生懸命に「遊ぶ」ように努力した先で、
気づけばすんなりと「無為自然」の境地で波乗りを楽しんでいる自分に出会える?
いえ、そんな期待をするのは老荘的ではありません。
努力が報われるかどうかは、たいして重要ではない
のです。
成功しても、失敗しても、その過程を「面白がる」こと。
それこそが荘子の説く「遊(ゆう)」の精神。
60代以後の人生、
結果に縛られず、ただ楽しむことが一番の正解です。
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