「SaaSの死」騒動に見る、企業向けITの面倒さ

日経XTECH / 2026/5/29

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要点

  • 「SaaSの死」は生成AI/AIエージェントでエンドユーザーが業務向けソフトを作りやすくなるため、SaaSモデルが揺らぐという問題提起として広まった。
  • 2026年1月のAnthropic「Claude Cowork」発表と業務別プラグインが注目を集め、SalesforceやServiceNowなどの株価が短期的に下落するなど、市場でも“脅威”として受け止められた。
  • しかし企業情報システムでは「必要機能が動けば良い」だけではなく、処理の正確性や内部統制に基づく保証が最重要であり、EUC(Excelマクロ同様)に該当する開発では監査対応の論点が残る。
  • AIエージェントの計算・判断の正しさを“誰が保証するのか”が最大の論点で、SaaSは判断根拠の提示・可視化などを通じてユーザー企業や監査人が検証できる形を提供する役割を担う。
  • したがってSaaSの価値は単なる機能提供に留まらず、ブラックボックス化するAIの妥当性を検証可能にするガバナンス面で発揮される。

 「『SaaS(ソフトウエア・アズ・ア・サービス)の死』について、どのような取材先を見つければ的確なコメントを得られるだろうか」。知り合いの経済誌記者からこんな相談を持ち掛けられた。同記者は普段、金利など金融関連の記事を担当しており、これまでSaaSなどIT関連の取材はほとんどしたことがないという。

 ところが同記者が所属する経済誌の方針で「全員の力を合わせてSaaSの死関連の記事を作ろう」となり、20年以上にわたって企業向けIT関連の取材をしてきた筆者に相談を寄せてきた。AI(人工知能)エージェントをはじめ、SaaSの死についても説明したが、普段からITになじみのない経済誌の記者にピンと来る話題ではなかったようだった。

 AIやSaaSになじみがない人まで興味を持つ「SaaSの死」。このキーワードが広く一般に広がっていたことに、筆者は驚いた。

「業務機能を簡単に作れる」だけで、SaaSは死なない

 SaaSの死は2026年前半にIT業界を最もにぎわせたキーワードの1つだろう。生成AIやAIエージェントの登場により、エンドユーザーが業務向けのソフトを簡単に開発できるようになり、SaaSのビジネスモデル、ひいてはSaaSベンダー自身も存亡の危機に立たされる――。これがSaaSの死の大まかな内容だ。

 SaaSの死の概念自体は、米Microsoft(マイクロソフト)のサティア・ナデラCEO(最高経営責任者)の発言などをきっかけに企業向けIT関係者の間で話題となるようになった。そして2026年1月、米Anthropic(アンソロピック)が業務向けのAIエージェント開発ツール「Claude Cowork」を発表したことで一気に現実味を帯びてきた格好だ。

 アンソロピックはClaude Cowork向けに、営業や法務といった業務別のプラグインを発表。アンソロピックの発表から数日で、米Salesforce(セールスフォース)や米ServiceNow(サービスナウ)といった、大手SaaSベンダーの株価が10%弱下落した。Claude Coworkの影響を受けたとの見方がある。

 ただ企業向けIT関係者ならば、「注目企業のアンソロピックがClaude Cowork向けの業務向けプラグインを発表したからといって、SaaSがなくなることはないだろう」と直感的に思ったのではないか。企業情報システムの世界では、「欲しい機能を簡単に作れる」だけで、ユーザー企業が採用するわけではないからだ。

AIエージェントの正確性は誰が保証するのか

 繰り返しになるが、SaaSやオンプレミスなどの提供形態を問わず、企業情報システムで利用する業務アプリケーションは「必要な機能を実装したソフトウエアが完成すればそれでいい」という世界ではない。企業情報システムの世界は、とても面倒だ。

 企業情報システム固有の観点から「SaaSが死なない理由」を3つ挙げたい。

 SaaSが死なない理由の1つ目は、業務処理機能の正確さが、企業情報システムにとって何より重要な点だ。会計システムが処理を間違えたら経営を揺るがす決算訂正につながりかねない。人事システムで給与計算を間違えれば、企業は従業員から訴えられるかもしれない。

 そもそも会計処理に利用する業務アプリケーションでは、内部統制報告制度などにより「結果に間違いがないこと」の保証が求められる。ユーザー企業が開発したAIエージェントはエンドユーザーコンピューティング(EUC)の分類になるだろう。Excelのマクロと同じだ。この場合、米国でも日本でも内部統制の観点から、ユーザー企業はEUCで開発したアプリケーションの処理の正しさを監査人に示す必要がある。

 Claude CoworkのようなAIエージェント開発ツールで作ったアプリケーションの計算の正しさは、誰が保証するのだろうか。生成AIを利用することで、処理の過程がよりブラックボックス化される。処理が正確なことを示すAIエージェントを開発すればよいのだろうか。では、そのAIエージェントが正しいという保証は誰がするのか――。

 こういう面倒ごとを引き受けてくれるのがSaaSの役割の1つだ。SaaS型のERP(統合基幹業務システム)を提供するワークスアプリケーションズの場合、経費精算や請求処理などの領域で、生成AIの判断根拠を提示・可視化する機能を提供している。経費精算や請求書などの処理で生成AIを利用して「処理が誤り」だと判断した場合、「なぜ誤りと判断したか」を文書で提示する。これを基にユーザー企業や監査人が判断が妥当かを検証できるようにしている。

 SaaSベンダーは機能をアプリケーションに実装するだけでなく、こうした保証が必要なことを知っている。税理士や公認会計士などの専門家を抱えている企業も多い。ユーザー企業がAIエージェントをSaaSの代わりに利用するならば、処理の正確性を保証する方法まで考える必要がある。

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