
今年も3月11日を迎えました。巨大津波が人々の生活を一瞬にして押し流し、多くの命が失われた未曽有の巨大地震から15年。そして、東京電力・福島第1原子力発電所事故からも15年がたちました。
15年という時間は、震災の記憶を少しずつ風化させています。震災を知らない若い方も年々増えています。ただ、今日この日は、15年前に思いをはせ、大切な人を失った方々に寄り添う日にしたい。そして、現在のエネルギービジネスは、原発事故によって故郷を離れざるを得なかった多くの方々の悲しみの上にあることを、改めて胸に刻みたいと思います。
原発事故から15年を目前にした2026年2月、日本のエネルギー業界の大きな節目となる出来事がありました。柏崎刈羽原発6号機が、東京電力ホールディングスの原発として震災後初めて再稼働を果たしたのです。原発は1基稼働すれば、1年で1000億円の収益改善効果があります。巨額の損害賠償と廃炉費用を背負う東電にとって、柏崎刈羽原発の再稼働はまさに悲願といえます。
柏崎刈羽原発6、7号機は、原子力規制委員会の新規制基準を2017年にクリア。残すは新潟県の地元合意を得るだけという状況になっていましたが、再稼働までにはさらに8年を要しました。なぜ、柏崎刈羽原発はこれほどまでに動かなかったのでしょうか。その理由を専門家や東電関係者の言葉から改めて読み解きます。
東電が信頼を回復できなかったのはなぜか
「柏崎刈羽原発は事故後に売却すべきでした。東電以外の事業体が運営するのであれば、もっと早く再稼働できたはずです。国内にある原発の中で柏崎刈羽は最新鋭。これを15年近くも止めることは避けられたでしょう」。国際大学の橘川武郎学長はこう指摘します。
東電でなければもっと早く再稼働できたという橘川学長の言葉は、東電が長らく企業としての信頼を取り戻せなかったことを意味しています。指摘の通り、この15年を振り返れば、「事故を起こした東電に原発の運転を任せても大丈夫なのか」という不安が常につきまとっていました。
福島第1原発事故だけではありません。柏崎刈羽原発は事故後の2020年以降に複数の不正が発覚しています。過去にさかのぼれば、2002年には複数の原発でのデータ改ざん・隠蔽。2007年の新潟県中越沖地震の際には耐震設計の甘さが批判されました。今なお、不安が完全に払拭されたとはいえない状況です。
なぜ東電は信頼を取り戻せなかったのでしょうか。コーポレートガバナンスの専門家である藤島裕三・上場会社役員ガバナンスフォーラム代表は、東電の信頼回復の取り組みには説明が不足していると指摘します。
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