407 問いで終わる未来の話 【第1話】無関心のあとで、私たちは何を引き受けるのか?
ノーム・チョムスキー氏はニューヨーク・タイムズへの寄稿でAIについて批判している。その中にこんな言葉があった。
「悪の凡庸さ(陳腐さ、banality of evil)」は、思考停止と規範への従属が引き起こす悪を指す。
私たちはよく、「日本人は同調圧力に弱い」と言う。あるいは「政治に無関心だ」と言う。
だが、それは本当に私たちの持って生まれた性質なのだろうか。他国の現状を見る限り、世界的にそんな方向へ傾いているように見える。
無関心とは、怠慢なのか。それとも、制度がうまく機能してきた結果なのか。なぜなら、人は楽な方を選択するから。自分を楽にしてくれる仕組みがあれば、それを採用するだろう。その結果が今なのであって。
高度成長期から低成長期にかけて、日本は「大多数が無関心でも回る社会」を作った。政治は生活の延長ではなく、頭上にある特別なものになった。
その下で国民は「同調していればよい」という常識を得た。いや、もちろん反発もしていい。気分しだいでどちらに転んでもいい。仲間からは指弾されるかもしれないけれど、知ったことか。好きに生きればいい。とはいえ、それは安全圏内での反動だろう。危険には近づかない。
今、その構造が揺らいでいる。
SNSによる情報分散。安全保障環境の変化。経済の低成長。人口減少。それらを象徴するかのようなAIやロボット技術の発展。
そしてやってくる未来。無関心は終わるのか。それとも形を変えるのか。
今回の問い
「私たちは本当に無関心なのか。それとも、未来を想像する時間を失っているだけなのか?」

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